「なんだ、この本は?!」 思わず声を漏らしてしまいました。
難解な文章で、かなり専門的な内容です。
なので、辞典や参考図書が片時も離せないほど、久しぶりに知的好奇心をくすぐられました。そして、学生時代の恩師の言葉が鮮やかに蘇ってきました。
「我々のような平凡な研究者は、ノーベル賞を取るような(天才)研究者の考えや理論を固める研究や実験をするのが仕事の一つなんです。でも、それはね、Sugar Boyくん、社会にとってとても大切なことなんですよ。」
脳科学分野の第一人者であるアントニオ・ダマシオは、この最新著作でもその天才ぶりを遺憾なく発揮しています。この天才の考えを少しでも分かりやすく世に広められるよう、恩師の言葉に従ってみたいと思います。
みなさんは、生物の進化は「様々な遺伝子変異が自然選択された結果」であると、理科や生物で習ったのではないでしょうか。これは、19世紀のダーウィンの自然選択に基づく進化論と、20世紀最大の発見であるワトソン・クリックのDNA二重らせん構造の発見に始まるセントラル・ドグマから導かれる有力な学説の一つに過ぎません。ですが、生物個体は遺伝子のコピーを運ぶ単なる「乗り物」に過ぎず、「核酸の複製・転写」のシステムこそが進化を押し進めてきた原動力(主体)であるとと考え、「遺伝子変異の自然選択」を信奉する研究者はとても多いのも事実です。
ところが、ここに紹介するアントニオ・ダマシオは、この最も有力な学説に真っ向から異を唱えています。生物の進化は、生体の内部環境をコントロールしている「ホメオスタシス(homeostasis):恒常性の維持」によってもたらされたのだと。そして、「核酸の複製・転写」も、「ホメオスタシス」の結果の一つに過ぎないんだと。
1990年代、代表的名著「デカルトの誤り -情動、理性、人間の脳-(原題「Descartes’ error – Emotion, Reason, and the Human Brain-」)」において、既に最先端の脳科学者であったダマシオは脳の(中枢)神経機能だけでなく、内臓感覚のような(末端からの)体内の身体情報こそがヒトの意思決定を左右しているんだと言い切りました。この彼の斬新な考えは「ソマティック・マーカー仮説」として広く知られるようになり、「こころ」の定義について学界に一石を投じました。
「我思う、故に我在り」のデカルトの考えでは、思考する「脳」に「こころ」があり「脳」が「身体」を制御していると考えます。しかし、ダマシオは、思考は身体が無ければ生まれないと「脳」と「身体」1セットで「こころ」が存在すると考えます。
大好きな子を見かけてドキドキするのは、好きだからドキドキしているのではなくて、過去のドキドキと心拍数が上った経験を記憶していること(内受容感覚)が「好き」っていう気持ち(の表出)を操作しているのではないかと、ダマシオは説明します。
えっ、そうなの? いやいや、なにやら訳がわからなくなりそうです。ちょっと面倒ですが、「好きだからドキドキする」ことを、専門的にみてみましょう。
「大好きな人に会えたから、気持ちが昂ぶって、その昂ぶり(神経興奮)が中枢から末梢に伝わって、ドキドキする」んです。これは、さらに次のような連続的な生理現象として説明されます。(ホントに細か過ぎて申し訳ありません、もう少しお付き合いください。)
・好きなヒトを見た認識は、まず大脳皮質で他の感覚と統合され、情報処理されます。
・その後、処理された情報は、大脳の深いところ(大脳辺縁系:海馬や偏桃体)に蓄積されている
記憶や情動に照し合わされて、その時の感情と新たな神経興奮を惹起します。
・この時の新たな神経興奮が昂ぶる気持ちであり、延髄にある心臓中枢を興奮させます。
・心臓中枢が刺激されると、交感神経を経て心拍数が亢進します。心臓がドキドキです。
なんと、脳科学の最新知見で、「好きだからドキドキ」を分析してみると、ダマシオの考える「過去のドキドキっと心拍数が上った経験を記憶していること(内受容感覚)が『好き』という気持ち(の表出)を操作している」ことを証明することになってしまいました。
そして、体中の感覚の情報処理を行う前頭葉と記憶や情動を司る海馬・扁桃体との相互作用も、「ホメオスタシス」の一つだと、ボクは思います。このように考え進めていくと、「ホメオスタシス」の制御で「こころ」が進化してヒトが生まれてきたという斬新なダマシオ流進化論も、割とすんなり納得できるのではないでしょうか。
長い進化の中で、ヒトは、身体(内受容感覚)のたくさんの記憶を蓄積し、体の内側から生じる様々な感情・情動(ダマシオがアフェクトと呼ぶもの)を知ることになりました。ヒトは、たくさんのアフェクトを脳で処理して経験を増やしてきたと言えるでしょう。
このように増える経験を中枢組織(脳)でしっかりと「意識」することが「こころ」のありようだとダマシオは言っています。生物として進化したから「こころ」を持ったのではなく、「こころ」が複雑化していく過程で、生命(生物)が進化してきたとダマシオは考えたのです。
では、「こころ」はどこにあるのでしょうか?
ここでの論証から考えるに、「こころ」の作用にすべての「身体」が必要とされるようです。つまり、「こころ」は「からだ」であり、「からだ」は「こころ」である、と言えないでしょうか。
ダマシオ流進化論に従えば、ボク達は「ホメオスタシス」というバランス調整力で、今のヒトというかたちで存在しています。 ダマシオ流「ホメオスタシス」とは、あるべきものがあるべきところに落ち着く、変化するのであればそれは為るべくして成る、すなわち、体内バランスだけでなく個体(ヒト)の在り方(レーゾンデテール:存在理由)にも働きかける調整力だと、今ボクは解釈しています。 そう考えると、ありのままの自分を感じ素直に行動すれば良いように思いませんか。今、「コミュ力」や「コミュ障」などの略語が使われるように、この2010年代以降のSNSの爆発的な発達も相まって、ヒト個人の境界が危うくなりかけています。このような世界で生きてゆくために、ダマシオはあえて「こころ」の所在を今回の著作で我々に問いかけてきたのではないでしょうか。
自分が感じたことにもっと自由に反応していいんだよ。自分が感じたことを自分の経験に基づいて解釈すればいいんだよ。難解な用語や文章であったけれども、本書を読み終えて、まずダマシオはそう我々に呼びかけているように感じました。
今回は、ダマシオ流進化論に誘われて、「こころ」は「からだ」であり、「からだ」は「こころ」であると気付き、ダマシオが我々に発しているメッセージについて、ボクなりに解釈を進めてみました。
次回は、ダマシオが地球の起源から生物の進化を辿った思索を振り返り、ダマシオ流進化論が誕生した理由を考察してみたいと思います。
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