ソーシャルイメージに共感しないと原稿をかけない?
ソーシャルイメージが共感できてないとどうなるのか?
これは、まあ共感できないってことはあんまりないですよね。綺麗に教科書通りに世の中できてないというか……。
例えば、スピーカーがリバタリアンだとします。リバタリアン(功利主義者)は、世の中すべて数字で物事を判断することがいいと考える人は、多分リベラルである僕とは根本的には価値が合わないんです。
けれども、もちろんビジネス的には、数字がいい方がいいじゃないですか。だから「数字が重要」っていうスピーチを書くことが必要な時も十分ありますので、そういうスピーチにしましょうということは大いにあります。
そもそも、価値観を天秤にかけるほどのスピーチってのは、実はそんなにないんですよね。だから、ライターとしては、共感できるところに共感してスピーチを書く、といったイメージです。
「こういうことを伝えたかったんですよね」と言い換える
ただ、スピーカーの方が、何も考えていないまま聞いていることもあるんですね。これがソーシャルイメージを持ち合わせていない場合のスピーカー問題です。
そういう聞き手に向けて、ライターはどうアプローチしてるのかというと……。
実は、話し手がビジョナリーを持って、「こういう世界を目指したい」「こういう会社を作りたい」と明確に言えることはむしろ稀です。
ですから、ライターの方がスピーカーをリードする形で「あなたはきっとこういうことを言いたかったですよね」と言い替える作業をします。
だから、スピーカーよりも、ライターの本質的な考えを先回りして言語化できる必要があるかもしれません。ライターは、「ロジカルに詰めていくとこの思想家の言ってることに近いよね」とか「この小説のあのビジョンに近いよね」とか「この映画のこの世界観に近い」っていうことを原稿にまとめていくわけです。
むしろ、スピーカー本人が自覚してないことの方が多いので、ライターはスピーチ原稿を通じて、スピーカーの頭の中にある、バラバラの要素を体系化することをやっていたりします。
結果的にセルフイメージを書き換えてしまうかも?
あと、セルフイメージの転換をしているのか、という質問がありましたが、スピーチライターとして、何か新しく全く違うように洗脳してロボットのようにスピーカーに喋らせることはやったことはないですね。
スピーカー本人の考えを整理するとかなり先に進むので、結果的にセルフイメージが書き換わることはあるかもしれません。
とうことで、スピーカーとライターの関係について、ちょっとデリケートな話をさせていただきました。
コメント