みんなに会うと、「蔭山さんってどんな本読んできてるんですか?」とか「バックグラウンドは何ですか?」とかよく聞かれるんです。
改めて聞かれても、色々やってきているので、一言では答えにくいし、その人が何を求めているのかも分からないので、答えきれません。
ざっくり振り返ってみると、僕の興味や活動してきたことは言えるので、今日は僕はどういうことを勉強をして、興味を持ってきたのかって話をさせていただきたいと思います。
ゲームに夢中だった幼少期
まず幼少期なんですけど、僕は基本的にゲームが大好きで、ずっとゲームばっかりやってました。僕双子の弟がいるんですよ。知らない人もいると思うのであらかじめ言っておくと、一卵性双生児の双子の弟がいます。
その彼とお小遣いが2~3千円ずつくらいあったと思うんですよ。二人で6000円ぐらいになるんですね。6000円あるとファミコンのソフトが一個買えるので、毎月一個ずつファミコンのソフトを買ってゲームをするっていうゲームっ子でした。
もうそれはそれはゲームばっかりやって、親と何回喧嘩したかわかりません。
隠されては探し、破壊されても復活させみたいな。破壊はされてないかな。アダプターとかよく隠されてね。探すの一生懸命で、弟と二人で頑張ったっていうのを思い出すな。という感じのゲームっ子でした。
ゲームの他にアニメも漫画も好きで、たくさん読んで、ジャンプは毎週楽しみに読むたいな少年期で、勉強なんかはね、兄と姉もいるんですけど、勉強について聞いてみたら、「勉強なんかしても役にたたへんよ」というようなですね、まるで知ったかの口をですね、中学校とか高校の兄、姉達は言っていて、勉強なんてしなくていいもんだと思っていました。
アニメ、漫画、ゲームでなんか幼少期は育ったんですね。
演劇に夢中な高校時代
そうこうしてるうちに高校になった頃に、演劇に触れます。
演劇に触れたらですね、まあこれが面白くて、何が面白いって少数の男子学生の間に多数の女子学生っていう構図でモテたんですね。だから演劇ってモテるんだと思って多分のめり込んで行ったのが最初なんだろうと思うんですよ。
まあ半分冗談ですけど、その中で一生懸命シェイクスピアとかね、別役実とか佐藤信とかね、あの鴻上尚史、野田秀樹、あとその他にニールサイモンとかシチュエーションコメディとかもたくさん勉強したんですよ。
みんな当時演劇ってそんな本格的に勉強してる子達は全然いなかったので、今でも多分全然いないんですけど、真面目にやってるとですね、非常に周りを振り切って、有名になるということですね。
姫路市の人たちに対して、姫路市で高校生で演劇をやってる人たちを全部束ねてプロデュースするとかね、姫路市始まって以来のムーブメントとかを作ったりとかってのも高校生の頃からやってました。もうそれからずっと演劇演劇で今までひょっとしたらきてるって感じです。
心理学と脳科学にどっぷり浸かった大学時代
大学に入ってもちろん演劇を勉強している一方で、演劇ってやってると、人間とは何かってのが大きなテーマになって何でも書かれてるんですね。人間とは何かを大学では科学的に理解したいと思って、心理学とか脳科学とか一生懸命勉強しました。
だから今でも論文をたくさん読んだりした習慣が残っているので、科学系の雑誌とか論文とかがきても、英語の論文が飛んできてもおびえなくなったのは、多分この当時一生懸命勉強したからだと思います。
「人間とは何か」を心理学とか脳科学を勉強したらわかるだろうと思って、大学に間違って6年ぐらいいるんですよ。アメリカ留学もひっくるめたら何年間もいて、それはそれは一生懸命勉強したんですけど、勉強しきってどう思ったかって言うとね、脳科学とか心理学って人間の中に入っていく作業なんですね。
でも人間ってよく考えて欲しいんですけど、社会的状況とか文脈によって人間の形って変わるんですよ。だから人間の中に分け入ってくっていうことをどんなに勉強しても、人間の全体は捕らえられないんですね。
むしろ演劇とかゲームとか漫画の方がまだ人間全体を人間のままとらえようとしている感じがあって、心理学をやっててもなんかダメだなって思うんですね。博士に行く道もあったんですけど、そっちには行かずに起業するっていう道を選んだっていう感じになります。
学生時代にもずっと演劇を、演劇というか文学・アートの文脈を一生懸命やってて、小説もたくさん読みましたし、映画もたくさん見ました。特に影響を受けたのは小津安二郎ですけど、東京物語っていう映画があって、よく「蔭山さんおすすめの映画何ですか?」とかって聞かれたら、いつもこの小津安二郎の東京物語をお勧めしています。
本当に普遍的な東京という街の厳しさや孤独や矛盾を丁寧に描いた作品で、黒澤明に並び称される小津安二郎なんですけど、彼の映画のあの切れ味を超えるものってまだ出会ったことないかもしれないな。それくらい凄い映画ですね。
演劇はですね、僕もともとのめり込んでいったのは高校時代、鴻上尚史とか野田秀樹っていうのに触れたからなんですけど、大学に入ってからは比較的硬派な会話劇とか一生懸命やってたんです。
あと文学座の先生の荒川哲生っていう人がいてですね、彼は三島由紀夫なんかと懇意にしてたんです。あと寺山修司とかね。そういう人たちがどういうふうに考えて、何をやってたのかみたいなの直接見聞きし、学んでいたっていうのが大学の頃です。
大学を卒業してビジネスをスタート
大学終わってビジネスを始めるんですけど、ビジネスは基本的に全部実学でやりました。ただタイミング悪くてですね、リーマンショックと東日本大震災っていう不運が重なるという非常にビジネスを始めるには最悪のタイミングではじめてですね、こんなに社会状況が不安定だとお客様も安定しないなということで、もう1回大学に通うことにしました。
大学というのは宮台真司という日本を代表する社会学者の下で一生懸命社会学を学ぶ、ということがスタートです。
初めて宮台ゼミに出たことは今でも忘れられません。宮台ゼミって首都大学でやるんですけど首都大学の学生はほとんどおらず、社会人が半分くらい、残りは学生なんですけど、首都大の学生は2、3人で、あとは他大学、東京大学、一橋、早稲田、慶応みたいな子達が集まってるゼミで、みんな単位も取れないのに勝手に集まって勉強してる場所でした。
何を忘れられないかって言うと、何言ってるか一言もわからない。難しすぎて。
例えばこんな感じですよ。「ニーチェを前提にすればなんとかかんとか」、「それはサンデルの言うところのなんとかかんとか」。必ずなんか記号がくっついてくるんですよ。記号がわかんないから全く分かんないっていうね。
同じ日本人なのに日本語が理解できないっていうのが最初でした。でも2年間その気になって勉強すればそれなりになるもので、割に落ち着いて議論できるようになった。
宮台先生とはこの間もイベント一緒にやりましたけども、下で直接学ぶというのではなく、より実地で勝負するようになっていくという感じです。
最後にファッションを勉強するんですね。スピーチライターとかコンサルとしてやっていると、人の衣装についてアドバイスするっていうことが増えます。それでまず自分の服装をどうするのかってことも含めて、一生懸命考えました。
そこでやっと今でこそ当たり前のようにエルメネジルドゼニアとか普通に読めるようになりましたけど、スーツ業界のブランドとか、生地の名前とか、縫製の仕方とかパーツとかボタンとか全部その頃に覚えました。今ではもういろんなテーラーとデザインについて議論できるところまでできるようになりました。
みたいにして、基本的には一生懸命目の前にあって、必要で楽しいことを夢中になって、寝る間も惜しんでやってたらこうなったっていう感じで、正しい道って恐らくないとは思うんです。
ないと思うんですが、しいて言うと、今からもしビジネスやってらっしゃる方で心理学とか脳科学にいくことは、僕は6年間やり尽くしたので、あんまりおすすめしないかなと思います。
一方で文学とか漫画とかアニメとか、かけがえのない心を豊かにしてくれるものたち、これはこれからのビジネスに絶対必要だと僕は確信しています。
ファッションも含めて、あとアート、こういうものはどんどんやったほうがビジネスは強くなるに違いないと僕は確信して、一通りあらゆるところにクビを突っ込んでやってきた僕は思います。
とはいえ遠回りかもしれないですけど、サイエンスをきっちりやることってのはサイエンスコンプレックスみたいなのを抱かなくてよくなるので、これもまた強力な武器になるかもしれないなと思います。
ここまで話してふと思ったんですけど、僕の強みってサイエンスと抽象的なアートとかファッションとかっていうのを行ったり来たりしていることなのかもしれないですね。それできる人少ないんで。
それが皆さんの助けになってるのかもしれないって喋りながら思いました。
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