スピーチで一生懸命話したのに、「で、何がいいたいの?」などと、冷酷な上司の一言が胸に刺さったことはありませんか?
また、「あなたの言っていることは抽象的でよくわからないんだよ」と、泣きたくなる言葉に苦しめられたことはありませんか?
それは、抽象と具体という軸を知らないことが原因かもしれません。
抽象・具体レベルのすれ違いが引き起こすトラブル
(猫カフェにて)
ネコ:猫ってかわいいよね。
クズ太:猫は、食肉目ネコ科ネコ属の動物で、ネズミを捕獲するためにヨーロッパヤマネコが家畜化されたイエネコのことを指すんだよ。まじかわいいよね!
ネコ:(そうだけど、それ求めてない)
ネコ:肉球ってマジ癒やされるよね!
クズた:肉球が柔らかいのは、高いところから飛んでも大丈夫なようにクッションの役割をしたり、足音を消したりするためなんだよ!
ネコ:(そうだけど、それ求めてない) 目も可愛いよね!
クズた:猫の目が大きのは・・・
ネコ:死ね。
二人の会話はなぜかみ合わなかったのでしょうか?
ネコさんは、猫の持つ抽象的な可愛さに言及しているのに、クズたは、そのパーツの持つ具体的な話をしています。
このように、抽象と具体のレベルの違いがトラブルを引き起こしたのです。
ここで、具体と抽象について、ちょっと考えてみましょう。
そもそも具体と抽象は、白と黒のようにはっきり二つに分かれるものではなく、グラデーションです。このグラデーションのレベルが合わないと、会話がかみ合いません。
ネコを例に抽象と具体を考えてみましょう。
「ネコ」を抽象化すると、「哺乳類」になります。
「イヌ」も抽象化すると「哺乳類」になります。哺乳類と昆虫を抽象化すると「生物」になります。
このように、イヌやネコのように、あるレベルの分類をまとめて要素を抽出することを、抽象化と言います。
一方で、この逆の動きを具体化と言います。
生物の中の動物の中のネコの中のタマという具合です。
抽象化したり具体化したりすると、情報量が大きく変わってきます。
生物と言われると、すごくぼんやりします。
想像力を使って、昆虫のことかなあとか、ゾウリムシのことかな?と、いろいろ思いを巡らせます。
一方、タマには、体温があります。
手触りの良い毛並みあるし、手で心臓を触れば鼓動を打っています。
生物に比べて圧倒的な情報量です。
具体的な存在は抽象化すればするほど、なんだかよくわからないぼんやりしたものになります。
「ネコってかわいいよね!」にうなずく人はいても、「哺乳類ってかわいいよね!」にうなずく人はあまりいないでしょう。
究極の抽象は「空(くう)」
ちなみに、タマを極限まで抽象化したらどうなるのでしょうか?
あらゆる事物を抽象化すると、有るか、無いかという概念にたどりつきます。
そして、それを超えた究極の抽象概念が「空(くう)」です。
空は、有でも無でもなく、どちらにもなりえる存在です。
タマ、世界一かわいい!を伝えるには
スピーチでは、「友情」や「愛」、「なぜ働くのか?」など、抽象的な話をします。
しかし、「猫はかわいい。」と抽象的な話をしても、聴衆の感想は「ふーん。まあ、そうだよね。」です。
一般論としての、あいまいな同意しか得られません。
「猫」の手触りを置き去りにしているからです。
そこで、私はタマのかわいさについて、具体性のある話をします。
タマは、私が家に帰るといつも玄関でお出迎えをしてくれます。
ちょっと落ち込んで帰った日は、それを知っているかのように足元にすり寄ってきて、しっぽでぱたぱたとたたいて、励ましてくれるのです。
眠るときは、同じ布団の枕もとに丸くなって一緒に床に就きます。タマは真の友人なのです。
・・・こんなタマを可愛いと思わない人類がいるでしょうか?
タマは世界一かわいい。
これに同意してくれたとき、深い共感と感動をを共有できるのです。
かわいいという抽象的な言葉だけではダメです。
具体性を失わず、「かわいい」を心の底から感じてもらった時に、深い感動を相手に与えることができるのではないでしょうか。
それこそ、スピーチの醍醐味ではないでしょうか。
まとめ
抽象と具体のレベルが異なるとトラブルを引き起こします。
しかし、抽象的な言葉を具体性を失わず伝えられた時、心からの共感を得られるのです。
抽象と具体という軸を理解して、「で、何が言いたいの?」と言われた過去の自分にサヨナラしましょう。
以上、「タマ、世界一かわいい!」を伝える方法でした。
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